プロとアマチュア

このところの相談で部活動・スポーツに関する相談が多い。

学生は中体連・高体連が終わり、新体制の部活動・クラブ活動に移行したことで悩みにつながっていると思う。

 

今回はスポーツにおけるプロとアマチュアという考えと、世の中が進もうとしている方向性が一致しているという考えをお伝えしたい。

 

スポーツにおけるプロとアマチュアについて私なりに考えてみると、一番の違いは自分の成長の責任と、結果責任を自分で負うという点にあると思う。

アマチュアのチーム(高校のチームなど)はチーム一丸となって練習をして、ある程度練習の内容が決まっているので皆それなりに成長する仕組みがある。本人のやる気の大小に関わらずチームの空気やシステムで個人は成長することができる。勝つ負けるの責任を選手たちは多少は負うけれども、言われた通りやっていたという点で、全部の責任を感じなくてもいい。

一方で、プロの世界では、結果責任を個人がとる。誰かが無理やり練習をさせるわけでも、メニューが決まっているわけでもない。トレーニングをやらなくて問題ないが、それで負けるのは本人で、損をするのも本人でしかない。自分をどう成長させていくかの全責任を自分自身が負っている。それに失敗すれば淘汰されるだけだし、うまくいけば勝利を手にすることができる。責任を感じようか感じまいが、いずれにせよ自分の人生で取らさせることになる。

勝利者の枠が無尽蔵に増えていくのであれば、プロの世界もそこまで厳しくはないが実際勝利者の数は少ない。またチームのレギュラー数にも限りがあるので、そこを必死で争うことになる。プロの世界ではアマチュアの世界とは違い、努力しない人を励ましたりしない。また一人転げ落ちただけだと一瞥して終わる。

アマチュアの世界は成長することや勝利の責任をチーム(指導者)に預ける代わりに、自由を一定量手放す。

プロのチームは、自己の成長や勝利の責任を負う代わりに、自由を手に入れる。

今、働き方について様々な議論がなされているが、結局のところ日本がプロ化しようとしていると私には聞こえる。もう自由を組織に捧げなくてもいい代わりに、誰もあなたの成長の責任をとってはくれない。働く時間も自由になるが、代わりに何かを生み出せない人はいくら時間を費やしても評価してもらえない。

自由は素晴らしいが、恐ろしいものでもある。どうもこの流れは止まらなさそうだから、適応した方がよさそうだと個人的には思っている。

 

 

小森 清敬

 

 

 

 

 


単球化した欲求

 

まだ若いときに、あるトレーニングのモデルにどっぷりと使ったことがある。結局それは私にはうまくはまらずに、そのトレーニングをやめることになったが、今考えると、その時の心理は非常に興味深かったなと思う。大人になって友人に会ったら、私は事あるごとに”僕は真実を発見したんだ”ということを言っていたらしい。

人体は複雑である。右肩が痛かったとしても、右肩の問題なのか、左側に体重を乗せていることが問題なのかわからない。また頭と体も切り離せない。意味的には身体の中に脳は含まれる。物事は複雑に絡み合い、問題の原因は簡単にはわからない。常に何かを試し、変化を洞察し、自分なりに整理し仮説を立て、また試すしかない。そこに確固たる正解はなく、あると思っているならそれはすでに間違いの入り口に立っている。

最初このようなことを先生に言われた時、正直言って、この人は知的ではなく勇気もないからはっきり言えないのだと思った。正解はこれであると言いきっている人の方がかっこよかったし、賢そうに見えた。今考えてみると、それは物事をしらなかったからだと言えるし、またただ頭がそのような複雑なものを複雑なまま捉えるという負荷に耐えられなかったとも言える。

何かをシンプルに説明することは大切だけれども、それは一旦このようなものにしておきましょうかという程度の意味にしか過ぎない。複雑な人間関係をそこにある石3つで説明するようなものだ。これが真実なんて思えないけれどもこうでもしないと理解できないし、伝えられないというのが近いと思う。そもそも言語を使うこと自体が、ある物事を切り取るので現実をそのまま表すことができない。

ところが、ある物事をはっきりとシンプルに示すモデルは強烈で、特に負荷に耐えられない人にとっては救いになる。必ず強くなるトレーニングがあると信じた方が負荷は軽いし、どこかに絶対悪があると思った方が負荷は軽い。複雑なものを複雑なまま受け入れることは、まず何より疲れるし不快感であることも多い。ああ、真実はそうだったのかと納得することは快楽でもある。

洗脳に関する本を読んだ時、洗脳をするときに効果的な状態は、睡眠不足、疲労困憊、孤独だと書いてあった。疲れるとやはりシンプルなモデルを受け入れやすいのではないか。最近社会全体が、疲労困憊気味で、孤独でもある感じがしていて、こういう時は端的に言い切るモデルが好まれるんだろうなと思ったが、考えてみるとずっとそうであったような気もする。

 

 

小森 清敬

 

 

 

 


私とは何かー個人から分人へ

私とは何か?

 

 

個人という単位ではなく、分人という誰かとの関係という単位で捉えるべきではないかということが丁寧に書かれています。おそらく誰しもがぼんやりと考えたことがあるいくつかの自分という考え。分人という考えはそれを肯定し、それは自然なことなのでそのまま抱えていきていけばいいと、背中を押されるような気持ちになります。

内容に強く納得しつつも、実は私はこの感覚が”今は”あまりありません。かといって、ものすごく社交性が強いかというとそういうわけでもありません。

小さい頃は、同じような感覚がありました。親と一緒にいるところを友達に見られたくありませんでしたし、中学校の友達と高校の友達が会ったりするのはいやでした。また、本当の自分でなんなんだろうと考え込んだことも一度や二度ではありません。それでも今は抵抗感がなぜか小さい。

自分で分析しながら本を読んだのですが、競技体験というのが大きいような気がします。競技を極めていくプロセスで、他者を意識しないで、ひたすらに没頭する世界に長くいると、外部の目に対し鈍感になり、平野さんの言葉でいう、自分と向き合うだけの分人がかなりの領域をおさめるようになっているのかもしれません。

コミュニケーションが上手い人も、そうではない人も、何らかのヒントになると思います。皆さんも読んで、自分はどうだろうと考えてみてください。

 

 

小森 清敬

 

 

 


サブリミナル・マインド

 

意識について興味を持っていた時に読んだ本です。この本をきっかけにしてベンジャミンリベットのマインドタイムを読みました。

意識と無意識についてかかれています。初めて認知心理学や、無意識の研究に触れた人はちょっと面食らうかもしれません。それぐらい日常の私たちの感覚とは違う世界がここにあります。

例えば分割脳の患者の例がでてきます。てんかん患者の治療として昔は脳梁を切っていたそうで(なんと!)、そういった患者は右脳と左脳が切り離されます。人間は右視野を左脳で、左視野を右脳で把握しているそうで、右視野に映ったものは左脳で把握できるので言語で答えられるのですが、左視野に映ったものは右脳なので言語では答えられません。ところが自分では言語的に何かが認識されていなくても、目の前にあるカードを何でもいいからとってというと結構な確率(7割程度だった気が)で当たるそうです。本人にわかっているという自覚なくして。

つまり私たちが考えて把握していると思っている世界は、私たち自身のほんの一部でしかなく、無意識で行われていることや、無意識の世界で起きていることは想像以上に私たちを支配しているというのがざっくりとした内容だと思います。私の知らない私が私の中にいて、そしてその私が出した結論や方向性(比喩表現として)が意識の世界の私たちの行動や判断に影響を与えているわけですね。

他にも興味深い実験内容が紹介されていて、読みやすいので是非読んでみてください。

 

 

小森 清敬

 

 

 

 

 


双子の遺伝子

私は5人の子供を授かった。

 

長男・次男・三男と3兄弟。

 

最後にかわいい双子の娘達。(もちろん3兄弟もかわいい?)

 

エピジェネティクスに興味を持った時に読んだ本。

私は進化論が好きなのですが、獲得形質は遺伝しないということが否定される可能性がある(実際には全然違いましたが)という話を聞きつけてそんなバカなという思いで本書を手に取りました。読んでみてエピジェネティクスに関する記述は少なく、どちらかというと先天性か後天性かを双子の事例を使って説明しているという印象でした。

いくつかのテーマを設定しています。幸福感,運動の才能、音楽の才能,信仰心,育児方法,犯罪率,肥満,癌や自閉症,同性愛,浮気と性欲。これらが先天性なのか後天的に決まっているのかを説明しています。一卵性の双子はdnaが一緒なので、例として説明しやすいんですね。

で、結論はというと、人間がdnaで決まっているものは一部で、やっぱり生育環境は結構大きいよねというものでした。後天的に変わるものも大きいですし、また仮に遺伝子として持っていても、後天的な環境いかんでそれが活性化するかどうかもわからないというものらしいです。

子育て中だと、いろいろ観察できて面白いかもしれません。人は変われるという気がして、気分がいいです。

 

我が家の双子の娘が今、私の研究材料のひとつです。

 

しかし、双子の上には3人の兄がいて、落ち着いた環境で育てることが難しい。

 

5年後・10年後 どのように成長しているのか?

 

遺伝子なのか?環境なのか?

 

今後が楽しみでならない!

 

 

小森 清敬

 

 

 

 

 

 


難しい課題

元少女無罪を主張 精神障害を理由に

名古屋で殺人事件を起こした少女の初公判が行われた。弁護側は少女には精神障害があり、責任能力がなかったと主張している。被害者の方の年齢と私の母親の年齢は近い。想像するだけで胸が痛くなる。

私は犯罪を犯した人を更生させるのがどういった仕組みがベストなのか、よく考える。被害者が正常であるか異常であるかの判断はどのようになされるのだろうか。また異常だった場合どのようにして正常化への取り組みは行われるのだろうか。

こういう事件が起こる度に、

〕澣

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の三つのレイヤーを想像し、どの段階の話をしているのかを考える。例えば弁護側は記事を見る限り、はあったが、△なかったと主張しているのだと思う。では、更生を行うというのはどういうことなのだろうか。を制限できるようにするのか、△縫▲廛蹇璽舛垢襪里、または,ら変えようとするのか。

教育は,縫▲廛蹇璽舛任るのか。彼女のような特殊な場合でない時は、,剖軌蕕魯▲廛蹇璽舛靴討いい里。また,篭軌蕕砲茲辰栃僂┐Δ襪里。もし変えることができないのであれば、,箸いν澣瓩鯤えていて、△鉢を強化することによって犯罪を起こさないようにするということが正常化のアプローチなのか。

話せばわかるという世界観は、相手は必ず同じように感じ、同じように考えるはずだということが前提にあると思う。そうではない人がいたら、仮に宇宙人がいたら私たちは本当にコミュニュケーションできるのだろうか。

昔読んだ、臨床の詩学という本が浮かんだ。

 

 

小森 清敬

 

 

 

  • 2017.07.18 Tuesday
  • -
  • 15:12
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緊張とリラックスと会話

最近リラックスしている人との時間が相次いでそれはなぜなんだろうと考えた。

会話をしていてリラックスできる相手と、そうではない相手がいます。

相性や相手との関係性、偉い偉くない、はあるだろうけれど、それを除いてもリラックスできて話をできる人と、

そうではない人がいるように思える。

 

人間がいつリラックスするかというと、大丈夫であるという安心感を持っている時ではないか。

反対に安心感がなければリラックスできない。こちらをジャッジするような人との対話はやはり緊張するし、

こちらを攻撃しようとしている人や無愛想な人ともやはりリラックスできない。

 

ところで相手を緊張させる人はなぜ相手を緊張させるのかというと、本来そういう人だという場合もあるが、その人自身が緊張をしている場合もある。もっと言えばその人自身が自分の人生に緊張しているわけです。日常からして緊張している人というのが実際にいます。

 

人間は自信がない時に、自分という存在が危ぶまれると感じ防御します。

全方位的に意識を巡らせ、自分という存在はないがしろにされていないか、尊重されているかということが気になります。

なぜ尊重されていることが気になるかというと、尊重されることでしか自分の価値を確認できないからです。

自信のない人は、自分は大事であるかどうかの確認を、自分ではなく他人に委ねています。

 

リラックスしている人間は自分が尊重されようがされまいが、自分の存在は揺るがないという感覚がどこかにあるように思えます。

相手がどのように扱うかと自分の存在価値が切り離されていれば、緊張が無くなります。

他者からの評価に影響を受ける人間であればあるほど、会話や他者との関係性は緊張を生み出すものになります。

なぜなら一挙手一投足が自分の価値を決めると信じているからです。

 

他人が自分をさばいているというモデルはあくまで自分の頭の中で作り出したものなのですが、その人にとってはそうでしかないので、なかなか緊張は解けません。自信をつけるだけでいいんだとも言えますが、それが一番難しくもあります。

 

スポーツの良い点は、全てが晒されることと、身体を扱うプロセスの中で自信がつくことではないかと思います。

私は私でしかないしそれで構わないという諦念感は、本質的な自信になります。

そして自信がつけば、急に肩の力が抜け、相手の肩の力を抜くことができます。

その時に初めて、自分が怯えていたのは自分が作り出した鏡だったことに気づくわけです。

 

でもそれが一番難しいことですね。

 

 

小森 清敬

 

 

 

 


こもり人生相談所 開設

<こもり人生相談所 開設>

 

相談内容

・人間関係

・子育て

・不登校・引きこもり

・発達障害

・ネット依存

・うつ

・パニック障害

・愚痴(ぐち)

・その他(要相談)

 

相談システム・料金

〔銘綿式・・・1対1 又は 1対2

 面談時間・料金・・・60分(5,000円) 90分(8,000円)

 

電話方式・・・1対1

 電話時間・料金・・・15分(2,000円) 30分(4,000円) 60分(6,000円)

 

2板輕問(小学生・中学生・高校生 専用)

 面談時間・料金・・・60分(5,000円)・交通費(静岡市内 1,000円)(静岡市外 要相談)

 

ざ遒厩み相談・・・料金 15分(2,000円) 30分(4,000円) 60分(6,000円)

 

通常の流れ

‥渡叩080-1558-7700) 又は 

 メール(komorijinseisoudan@docomo.ne.jp)予約

   左上、メールでのお問合せをクリック

¬銘牝決定・相談システム決定

N繕盪拱Гぁ別銘綿式は基本当日支払い)

 ※電話方式は振り込みのみの対応

 

注意

 ・当日の面談キャンセルが続く(2回)と予約を一時的にとれなくなりますのでご了承下さい。

 

 

小 森 清 敬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


講演会

ネット/スマホ依存を心配する保護者のための相談講座の

講師として静岡市発達障害者支援センター「きらり」様で講演会を行いました。

 

 

 

 

 小 森 清 敬

 

 

 

  • 2017.02.18 Saturday
  • -
  • 21:08
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ネット/スマホ依存を心配する保護者のための相談講座(講演会)

ネット/スマホ依存を心配する

     保護者のための相談講座(講演会)

 

‖仂歇圈ΑΑ子供のネット・スマホ依存を心配する保護者・関係者

開催日・・・2017年2月17日(金)10時00分〜11時30分

場所・・・静岡市発達障害者支援センター「きらり」4F

つ螳・・・20名

ス峪奸ΑΑ小森 清敬

参加費・・・無料

Э醜期日・・・2月5日(日)

┸醜み方法・・・精華学園高校 清水校へ直接TEL

   054-364-7700

 

 

小森 清敬

 

 

 

 

 

 

 

  • 2017.01.12 Thursday
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  • 18:53
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