緊張とリラックスと会話

最近リラックスしている人との時間が相次いでそれはなぜなんだろうと考えた。

会話をしていてリラックスできる相手と、そうではない相手がいます。

相性や相手との関係性、偉い偉くない、はあるだろうけれど、それを除いてもリラックスできて話をできる人と、

そうではない人がいるように思える。

 

人間がいつリラックスするかというと、大丈夫であるという安心感を持っている時ではないか。

反対に安心感がなければリラックスできない。こちらをジャッジするような人との対話はやはり緊張するし、

こちらを攻撃しようとしている人や無愛想な人ともやはりリラックスできない。

 

ところで相手を緊張させる人はなぜ相手を緊張させるのかというと、本来そういう人だという場合もあるが、その人自身が緊張をしている場合もある。もっと言えばその人自身が自分の人生に緊張しているわけです。日常からして緊張している人というのが実際にいます。

 

人間は自信がない時に、自分という存在が危ぶまれると感じ防御します。

全方位的に意識を巡らせ、自分という存在はないがしろにされていないか、尊重されているかということが気になります。

なぜ尊重されていることが気になるかというと、尊重されることでしか自分の価値を確認できないからです。

自信のない人は、自分は大事であるかどうかの確認を、自分ではなく他人に委ねています。

 

リラックスしている人間は自分が尊重されようがされまいが、自分の存在は揺るがないという感覚がどこかにあるように思えます。

相手がどのように扱うかと自分の存在価値が切り離されていれば、緊張が無くなります。

他者からの評価に影響を受ける人間であればあるほど、会話や他者との関係性は緊張を生み出すものになります。

なぜなら一挙手一投足が自分の価値を決めると信じているからです。

 

他人が自分をさばいているというモデルはあくまで自分の頭の中で作り出したものなのですが、その人にとってはそうでしかないので、なかなか緊張は解けません。自信をつけるだけでいいんだとも言えますが、それが一番難しくもあります。

 

スポーツの良い点は、全てが晒されることと、身体を扱うプロセスの中で自信がつくことではないかと思います。

私は私でしかないしそれで構わないという諦念感は、本質的な自信になります。

そして自信がつけば、急に肩の力が抜け、相手の肩の力を抜くことができます。

その時に初めて、自分が怯えていたのは自分が作り出した鏡だったことに気づくわけです。

 

でもそれが一番難しいことですね。

 

 

小森 清敬

 

 

 

 


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