単球化した欲求

 

まだ若いときに、あるトレーニングのモデルにどっぷりと使ったことがある。結局それは私にはうまくはまらずに、そのトレーニングをやめることになったが、今考えると、その時の心理は非常に興味深かったなと思う。大人になって友人に会ったら、私は事あるごとに”僕は真実を発見したんだ”ということを言っていたらしい。

人体は複雑である。右肩が痛かったとしても、右肩の問題なのか、左側に体重を乗せていることが問題なのかわからない。また頭と体も切り離せない。意味的には身体の中に脳は含まれる。物事は複雑に絡み合い、問題の原因は簡単にはわからない。常に何かを試し、変化を洞察し、自分なりに整理し仮説を立て、また試すしかない。そこに確固たる正解はなく、あると思っているならそれはすでに間違いの入り口に立っている。

最初このようなことを先生に言われた時、正直言って、この人は知的ではなく勇気もないからはっきり言えないのだと思った。正解はこれであると言いきっている人の方がかっこよかったし、賢そうに見えた。今考えてみると、それは物事をしらなかったからだと言えるし、またただ頭がそのような複雑なものを複雑なまま捉えるという負荷に耐えられなかったとも言える。

何かをシンプルに説明することは大切だけれども、それは一旦このようなものにしておきましょうかという程度の意味にしか過ぎない。複雑な人間関係をそこにある石3つで説明するようなものだ。これが真実なんて思えないけれどもこうでもしないと理解できないし、伝えられないというのが近いと思う。そもそも言語を使うこと自体が、ある物事を切り取るので現実をそのまま表すことができない。

ところが、ある物事をはっきりとシンプルに示すモデルは強烈で、特に負荷に耐えられない人にとっては救いになる。必ず強くなるトレーニングがあると信じた方が負荷は軽いし、どこかに絶対悪があると思った方が負荷は軽い。複雑なものを複雑なまま受け入れることは、まず何より疲れるし不快感であることも多い。ああ、真実はそうだったのかと納得することは快楽でもある。

洗脳に関する本を読んだ時、洗脳をするときに効果的な状態は、睡眠不足、疲労困憊、孤独だと書いてあった。疲れるとやはりシンプルなモデルを受け入れやすいのではないか。最近社会全体が、疲労困憊気味で、孤独でもある感じがしていて、こういう時は端的に言い切るモデルが好まれるんだろうなと思ったが、考えてみるとずっとそうであったような気もする。

 

 

小森 清敬

 

 

 

 


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